石峯山





左:石峰山山頂(東側)の高射砲陣地の東端の砲座、右:同左の縁部



左:東から2つ目の砲座、右:左奥が砲座、右手前が砲側弾薬庫の窪み



左:三角点の右側に薄っすらと東から3番目の砲座の窪地、右:山頂平坦部の北下にある建物基礎



左:山頂平坦部の西下にある水槽、右:西下の兵舎の石垣



左:2つの高射砲陣地の間にある電波標定機の円形窪地内部、右:同左の縁部



左:その西にある照空陣地の聴音機窪地の縁部、右:同左照空灯窪地の縁部



左:西側の高射砲陣地の砲座、オフロードのコースになっている、右:砲側弾薬庫



左:右側が砲座、その左に砲側弾薬庫、右:左側が砲座、奥に砲側弾薬庫



米軍の航空写真(R239_NO3-51、52、70、国土地理院)


米軍の航空写真(R424-47、国土地理院)




若松区の石峯山から西にかけての一帯に、2ヶ所の高射砲陣地と、電波標定機等の施設群がある。
石峰山山頂には2基の砲座が残っている。高射砲基礎と砲側弾薬庫は金物盗りの為に粉々に砕かれてしまっているが、円形土塁の窪みから3ヵ所の砲側弾薬庫があったことがわかる。山頂の周囲には幾つかの建物基礎や兵舎の石垣、水槽などが残っている。
一つ西のピークには、電波標定機陣地がある。直径20mの円形窪地を中心に、大隊本部を兼ねているのかかなり大掛かりな遺構が残っている。資料からタ号1型のものかと思われる。
そのすぐ西には、道路に分断されて照空陣地の聴音機と照空灯の窪地がそれぞれ残っている。

更に西のピークにも高射砲陣地がある。総牟田と同じくオフロードコースになっているが、7ケ所の窪地といくつかのコンクリート製砲側弾薬庫が残っている。砲座は6基であることから、残り1つは何か別の用途の構造物跡と思われる。





日付 高射戦記、砲兵沿革史、復員省資料等による記事
昭和16年12月 防空第21連隊 第1大隊本部
防空第21連隊 高射砲第3中隊 
昭和17年4月 防空第21連隊 第1大隊本部
防空第21連隊 高射砲中隊
防空第21連隊 高射砲集成中隊(2個小隊、4門?)
昭和19年6月 高射砲第131連隊 第1大隊本部
高射砲第131連隊 高射砲第4中隊 7cm高射砲
高射砲第131連隊 高射砲第6中隊 8cm高射砲
昭和19年11月 高射砲第131連隊 第1大隊本部
高射砲第131連隊 高射砲第4中隊(石峯山東) タ号1型1基
高射砲第131連隊 高射砲予備陣地(石峯山西)タ号形式不明1基
高射砲第131連隊 第13照空中隊 照空分隊
昭和20年6月 高射砲第131連隊 第1大隊本部
高射砲第131連隊 高射砲第4中隊 8cm高射砲6門
タ号1型2基 能、タ号3型1基 調整中(高射砲隊電測小隊配置状況表より)
昭和20年8月 高射砲第131連隊 高射砲中隊? 7cm高射砲
高射砲第131連隊 第13照空中隊 照空分隊
タ号1型1基 否、タ号3型1基 能(電波標定機配置表より)