片平山(大牟田)



左:米軍の航空写真、昭和20年6月18日撮影(USB15-R15-0817、国会図書館)



米軍の航空写真、昭和22年頃(R153-44、45、46、国土地理院)

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GoogleMapをベースに、遺構の位置を記入




左:倉庫裏の崩れた壕A、右:同左



左:切り出した平坦部B、右:崩れた壕C



左:谷奥の平坦地Dを北下から、右:平坦地Dを南上から



左:弾薬庫?のような窪地E、右:貯水タンク北東にある階段と石垣



左:階段の近くにあるレンガ遺構G、右:石垣の横の崩れた壕F



左:古墳のようなHの東側、斜面に三角点、右:周囲に石が回っていて古墳っぽい



左:Hの西側、ますます古墳っぽい、右:普通なら古墳かと勘違いするような面構え



左:地下室の入り口はコンクリートブロックで塞がれている、右:枠はコンクリート



左:Hの天井、1辺4m30cmくらい、右:同左を東側から



左:Hの北西にある基礎I、幅3mくらい、右:同左を北側から





左:基礎Iから古墳もどきHを、右:貯水タンク北西下の遺構J、一見焼却炉かゴミ箱



左:貯水タンク西下の平坦地、右:南西端にあるコンクリート遺構K



左:コンクリート遺構K、右:その内部



左:貯水タンクのある平面を南から、右:高射砲陣地のあった平坦地を南から



左:高射砲陣地のあった平坦地を北東隅から、右:同左



左:北側の砲側弾薬庫跡?L、右:一つ南西の砲側弾薬庫跡?M



左:不明なコンクリート基礎N、右:同左(同じようなのが南北2ヵ所ある)



左:高射砲陣地のあった平坦地の北側、右:忠魂碑のあるピークの西下平坦地



左:西下平坦地中央部にあるコンクリート遺構、右:西下平坦地北端にあるコンクリート基礎O



左:Oを北西から、右:アンカーボルトでなく細い鉄棒



左:忠魂碑のある平坦地、右:忠魂碑の裏(東)下のコンクリ基礎と細い鉄棒



右:米軍の航空写真、昭和22年頃(R153-46、国土地理院)



大牟田では延命公園に高射砲があったことは有名だが、航空写真を見ると延命中学校の北東に高射砲陣地が写っている。
また現在貯水槽が建っているピーク、慰霊碑の建つピーク、そして良く見ると貯水槽の南東のピークにも何かしら写っている。




夏の終わりに行ってきた。案外と残っている。


動物園の真裏、北から南へと向かう谷筋は遊歩道というよりも山道に近いが、西側の斜面に2本の壕跡(AとC)と削り出し平坦地Bがある。この削り出し平坦地Bには、発電車が置かれていたか、もしくは弾薬庫があったかもしれない。また谷を登りきった部分には平坦地Dがある。基礎は無かったが建物があったかもしれない。

舗装された遊歩道に取り付くと、貯水タンクへ向かう道の脇に窪地Eがある。藪に入らなかったので寸法は不明だが幅5m弱で奥行きも結構あった。崩落した壕跡か、もしくは弾薬庫跡かと思われるが良くわからない。

貯水タンクの北東下に、階段と石垣、レンガ遺構Gがある。すぐ北に崩れた壕跡Fがあるので、貯水タンクが建っている場所には何か施設があったようである。

貯水タンクの北には、古墳のような丘Hがある。周囲を神籠石のような石が置かれ、また西側の通路など、そのまんま古墳のようであるが、中央部にコンクリートの地下室がある。ほぼ正方形で1辺は4m30cm程。むき出しの鉄棒があるので、屋根の上に更に構造物があった可能性がある。
記録によると、大牟田にタ号3型が配備されていたが、3型は内径5m弱の円筒型のコンクリート穴が送受信の計2ヵ所必要だったようなので、ここではないかもしれない。
またこの古墳状遺構Hの北西下の平坦地に建物の基礎Iがある。1辺3m程のレンガとコンクリート混成の基礎に、幾つかの四角の付属物がある。大きさからするとトイレのようだが、埋め込み式の汚物槽が見当たらないので用途はわからない。

貯水タンクの西下には南北に平坦地があるが、そこと更に南西下の平坦地に、同じ形のコンクリート構造物JとKがある。一見、焼却炉かゴミ箱のように見えるが、直径20cm程の穴が左右と裏の3ヶ所に開いており、どちらでも無さそうである(焼却炉なら1ヵ所で十分だし、ゴミ箱なら穴は不要)。それでは何か?と言われたら、思い浮かばない。
昭和20年6月の時点で、大隊本部が片平山にあったとあり、恐らくこの辺にあったのではないかと思われる。


高射砲陣地があったと思われる平坦地は、現在広場になっている。
よく見ると、北側にコンクリートの残骸が顔を出している。四角い枠のようなものは、厚さが約15cm、縦横が1.5m×1m程の大きさで、高射砲陣地構築要領に出てくる砲側弾薬庫の約2.5m×1.8mと比べると小さいものの、東屋や滑り台などの公園関係の構造物にはあまり無く、戦後の航空写真を幾つか見ても、この辺に構造物は写っていない為、高射砲陣地関連のものかと推測される。Lにも、Mのように排水溝もしくはケーブル用暗渠のようなものがセットになっているが、少し埋もれていて判り難い。
一方でコンクリート遺構Nは、アンカーボルトでなく細い鉄棒が飛び出ており、建物の基礎か何かのようである。ベンチ…だと鉄骨を入れる意味が無いから、これも高射砲関係の遺物かもしれない。

忠魂碑のあるピークにも幾つかのコンクリート遺構が残っている
延命公園のすぐ近くにある大牟田市立図書館で事前に調べた「大牟田・荒尾の戦争遺跡ガイド」(大牟田 大牟田の空襲を記録する会)には、ここにあるコンクリート遺構Oを高射砲陣地跡と書いていたが、広さや数から高射砲座ではなく、またアンカーボルトでなく細めの鉄棒が飛び出ており、こちらも建物の基礎のような感じである。高射砲陣地関係物の可能性としては指揮所の施設か、タ号3型の施設(貯水タンク側のピークのものと対として)などが考えられるが、昭和20年6月の航空写真では指揮所は砲座の近くにあるようであり、またタ号3型としてはピーク上に出っ張りすぎており、電波の乱反射が酷くて使いものにならなくなりそうである。大牟田市のHPには、延命公園は昭和15年に作られたとあり、その際に建てられた東屋の基礎の可能性もある。
また忠魂碑の裏(東下)に、碑を建てる前のものと思われるコンクリート基礎がある。こちらも細めの鉄骨が飛び出しており、ここに何かの建物があったようだ。


貯水槽の南東のピークは、行った時には気付かずに探索しそびれた。
ここに大きな穴でもあれば、タ号3型がここにあった可能性が出てくるのだが…







日付 高射戦記、砲兵沿革史、復員省資料等による記事
昭和20年6月 独立高射砲第21大隊 大隊本部
独立高射砲第21大隊 高射砲第1中隊 8cm高射砲6門
独立高射砲第21大隊 電測分隊 タ号3型1 調整中(陣地変換直後)(片平山かどうかは不明)
昭和20年8月 独立高射砲第21大隊 大隊本部?
独立高射砲第21大隊 高射砲第1中隊 8cm高射砲
独立高射砲第21大隊 電測分隊 タ号3型1 戦闘不能(調整完了せず)(片平山かどうかは不明)