垂見峠 砲台
2014.4.19 探索
左:全体図、右:米軍の航空写真(M279-32、国土地理院)
岡垣町と宗像市の境界、国道495号線が通る垂見峠の近くに、洞窟砲台が2基残っている。立地から、芦屋海岸に上陸してくる敵を攻撃するためのものであると思われる。
垂見峠から湯川山へ向かう登山道を進み、最初に登る尾根の北東斜面にある。北西側の砲座は、登山道から見下ろすと見える位置にあるのだが、さすがに事前知識無しで、ここに洞窟砲台があることを見極めるのは難しい。
土質の為か、どちらも鉄筋が使用されており、鉄筋盗りにより幾分か破壊されているものの、比較的良い状態で残っている。北側の尾根に邪魔されてほとんど射線が確保できないような場所にあることから、余程海からの艦砲射撃を警戒していたようである。
備砲は明確な記録が残ってはいないものの、大島砲台→地島→垂見峠であれば、45式改造固定15cmカノン2門である。
下関重砲兵連隊史によると、以下の通りであった:
(大島の)2門は第56軍隷下の第154師団に配属され、福岡県遠賀郡岡垣村内浦(垂見峠下)に洞窟陣地を構築。備砲直前に終戦。指揮官は長野中尉。
また、岡垣町誌には以下のようにある。高射砲という誤解はさておき、備砲されていた事と砲身が迷彩塗装されていたことがわかる…ってあれ?下関重砲兵連隊史と備砲についての記述が異なっている…。
内浦の垂見峠には迷彩を施した長い砲身の高射砲が空に向かってではなく三里松原海岸に向けて砲撃態勢を整えていた。
日付
記事[1]
昭和20年5月下旬
海岸陣地帯構築作業(ケ号演習)
(恐らく)地島の工事中止、垂見峠へ移動
昭和20年8月
洞窟開削 概ね完了
[1] 下関要塞守備隊戦史資料(防衛省戦史資料室、本土-西部-145)
左:砲座Aを登山道から見下ろす、右:砲座A正面
左:砲座A、少し北寄りから、右:砲座A正面アップ
左:砲座A天井部縁、右:同左
左:砲座A内部、右:北西側壁面、鉄筋盗りが酷い
左:南隅部、右:天井部
左:北隅部、右:内部から外を
左:西上斜面から、右:砲座B
左:砲座Bを北から、右:横から、鉄筋盗りで天井アーチ部が矢印の範囲削られている
左:少し西側から、右:砲座B内部
左:南隅部、こちらも鉄筋盗りが酷い、右:北西面
左:南西奥面、出入口の奥はすぐに岩盤、右:内部から外を
左:北隅部、右:東隅部、天井から垂れ下がっているのはフックではなく鉄筋
左:北東平面、狭い、右:北隅部を外から、点線の部分が本来の縁
ここの洞窟砲台は、へしゃげたかまぼこ型で、左右に広くなっている。左右幅は約6mで大島の洞窟砲台とほぼ同じであることから、単に天井を低くしたかっただけのようである。また山は土質で崩れやすく、その為か鉄筋が用いられており、それを盗るべく幾分か破壊されている。
砲座Aは、登山道のすぐ下にある。トンネル部は直接見えないが、砲座前の平坦地は確認できる。状態は砲座Bよりもましだが、それでも鉄筋盗りで内部が幾らか削られている。 正面に尾根があり、射界はかなり限られたのではないかと思われる。
砲座Bは、砲座Aから斜面沿いに東へ下った場所にある。Aよりも破壊は酷く、天井アーチの前縁部がかなり削られてなくなっている。地質は多少岩盤に変わってきており、奥の出入口の向こうは岩盤になっている。
こちらも正面は尾根であり、射界が制限されているものの、Aよりか尾根が低い。
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