肥後・天草遠征 3日目

平成27年1月10日〜12日




竹迫城の二重横堀





左:天草諸島、右:熊本周辺(GoogleMapを基に作図、クリックで拡大)




○1月12日

夜明け直後に宇土城へ。





宇土古城


左:千畳敷(主郭)の西面、右:同左の北東隅


左:主郭入り口、右:主郭内部


左:虎口なのかな…、右:主郭から北下の堀を


左:主郭の北面の堀、右:同左


左:主郭西面の堀、右:同左


左:三城(西側のピーク)の南下付近、右:右上が三城


左:三城、右:同左西縁の土塁


左:西端の堀、右:三城北下


左:石垣、右:石垣、左奥が三城




1970年代の航空写真(CKU7422-C61-14、国土地理院)

宇土市街の南西端に宇土古城と宇土城がある。西にある宇土古城は最近になって大々的に整備が進められている。が、富岡城と同じくやりすぎな気もする。
なだらかな丘陵に東西2ヶ所にピークがある。東側が主郭だと思われるが、土塁と堀で囲まれている。それ以外は目だった防御は余り見られず、城域全体が湿地帯に突き出した形になっており、南西面が深い堀で切られている。この堀は整備中であり(堀底にシャベルカーが見えた)、もうしばらくすると見所の一つになるかもしれない。





宇土城


左:本丸平坦部、右:本丸西下、奥の墓地が二ノ丸


左:本丸の北東下、右:本丸の東下の堀


左:本丸の東下の堀、右:本丸北東下の石垣


左:その続き、右:更にその続き


左:本丸南東下の石垣、右:本丸南西下の石垣




1970年代の航空写真(CKU7422-C61-14、国土地理院)

本丸とその周辺の堀以外は学校や住宅地、墓地に侵食されているが、総堀まで含めた地形は良く残っている。
本丸周辺の堀は、高くはないが綺麗な石垣がほぼ1周回っている。





木原城


左:谷地に建つ木原不動奥の院、右:主郭


左:主郭の南東下の郭、右:南東へ続く郭


左:小城を南から、右:小城へ登る途中の段から南下の堀切を


左:小城主郭西側、右:東側


左:北を望む、右:南の城山を



宇土市街から北東へ約3km、木原集落から山頂付近まで車道がついており、木原不動奥の院まで車で登る事ができる。
ただ肝心の城域は荒れており、特に主郭周辺は竹薮に埋もれている。

北麓と山頂の中間に、小城がある。車道脇から登山道が出ている。比高が80m程あり軽い登山になるが、上下のメリハリもあり、本城よりも余程城らしい。





隈庄城


左:北面、右:平坦部北端


左:中央部、右:東下



隈庄集落の北西にあり、山頂平坦部は公園と墓地になっている。





須屋城


左:東中央部、看板のある付近、右:北東部


左:堀?というか畑の排水溝のような…、右:堀?と土塁


左:堀?と土塁、右:堀?


左:北の堀跡、右:北の堀跡


左:北の堀跡と土塁、右:南の堀跡


右:1970年代の航空写真(CKU7422-C45-29、国土地理院)

熊本電鉄菊池線の新須屋駅の北西150m程、国道3号線のバイパスの高架下近くに駐車スペースと案内看板がある。
1970年代の航空写真を見ると半分くらい残っていたようだが、現在では宅地化も進み、更には国道3号線バイパスで分断され、土塁等が残るのは北東端のみとなってしまった。ただ城域を囲む総堀は地形として薄っすらと残っている。





竹迫城


左:主郭北下の大きな横堀(二重横堀の南側)、右:同左の東側


左:主郭を北東から、右:主郭の横堀


左:主郭平坦面、右:主郭西下の平坦地


左:北西側、右:二重横堀


左:二重横堀、右:北西から主郭方向を


左:北西下、右:北東下


左:北下の平坦地、右:二重横堀


左:二重横堀の南側の横堀、右:同左の西側



合志町の中心部の北側、城域全体が公園として整備されている。
特に北半分は一面の芝生になっており、東西に走る大きな二重堀切の斜面では多くの子供が芝スキーを楽しんでいた。





飛隈城


左:南東隅、右:同左


左:内部平坦地、右:西側の土塁


左:土塁にある開口部、右:西下の堀切とその西の土塁


左:西下の堀切、右:同左


左:西下の堀切から土塁と開口部、右:堀切


左:南西隅、右:同左


左:北の郭との間の堀切がこの薮の奥に!、右:東を流れる合志川


右:1970年代の航空写真(CKU7422-C37B-4、国土地理院)

菊池市街の南方約3km、等覚寺の北東200mの県道204号線沿いにある。南北2ヵ所の郭があるが、北側は薮で入れない。
南側の郭の西面付近には、深い堀切と高い土塁がある。





菊之池城


左:南西道路脇から、右:南東から


左:南面の石垣、右:同左


左:南縁の石碑と看板、右:北側の土塁?



菊池市街の南端、菊池川から北に200m入った田んぼの中にある。
堀跡等が地形として残っている。





菊池城


左:北東下の横堀、右:同左から城山を


左:横堀を上から、右:北西下の郭


左:北西下の横堀、右:主郭は神社に


左:主郭の南東側、右:南西下の帯郭



菊池市の北東側、菊池神社周辺が菊池城である。
殆どが神社となり平坦地くらいしか残っていない状態だが、北東下から北西にかけて横堀と土塁とが回っている。





鞠智城


左:復元された望楼、右:南側



菊池市街の北西約3kmにあり、中心部分は整備されて公園となっている。
肝心の周辺部には時間が無かったので行けず。





津袋城


左:内部、右:同左


左:土塁、右:土塁の上から内部を


左:土塁の上、右:土塁から北西下を


左:堀と土塁、右:土塁


左:南東側の堀跡、右:北東側の堀跡


右:1970年代の航空写真(CKU7422-C30-44、国土地理院)

菊池市街と山鹿市街の中間、津袋集落の東に津袋城がある。
北端に、五角形の土塁と堀で囲まれた郭が残っている。





大橋城


左:南西端の水路、右:民家の敷地内の土塁跡?


左:北面にある土塁の残欠、右:同左


左:南面にある土塁の残欠、右:同左


右:1970年代の航空写真(CKU7422-C35B-14、国土地理院)

山鹿市の南東約5km、田底小学校からは北東に約300mの田んぼと水路に囲まれた一帯が大橋城跡である。一部に土塁跡が残る他は、何もない。





焼米城



山鹿市街の南西約3km、焼米集落の西の山が焼米城である。南麓に駐車スペースと登山口があったが、時間が無くて登れず。





江田城



九州自動車道菊水ICの南東約600m、和水町立中央小学校の北西の山付近らしいが、詳細不明。




新玉名駅で解散。

一人、九州自動車道を北上するが、冬だったこともあり福岡周辺は渋滞していなかった。




戦果
	攻撃対象	34城

	うち 棄権	3城

			31城	攻略



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