播磨但馬丹後遠征 〜遠征は中止! 繰り返す、遠征は中止!〜
平成29年10月7日〜9日

経ヶ岬のジムグリ
〇10月8日
早朝にKさんを豊岡駅まで送る。朝食を食べてホテルを出発した後、1人丹後半島へと向かう。
経ヶ岬特設見張所(甲)?


左:自衛隊施設、右:同左


左:米軍施設、右:経ヶ岬展望台から

詳細は
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自衛隊・米軍施設となり内部には入れないが、隣にある九品寺から見ることはできる。昔の自衛隊のHPにはここに特設見張所があったと書かれていたが、現在はリニューアルされてしまい確認することができなくなっている。
経ヶ岬特設見張所(戊)?


左:山頂展望台の東屋の周囲に土塁、恐らく電探の物、右:ここの部分は石垣


左:東屋と土塁、右:山頂の南側


左:東屋の北下の平坦地、右:同左の北下のコンクリート製水槽


左:崩落した地下壕入り口、右:望楼南下の兵舎の平坦地


左:謎のコンクリート水槽、右:トイレ?


左:兵舎の建物の基礎、右:望楼


左:望楼、右:望楼内部


左:何かのコンクリート製基礎、右:石製の旗指物の穴と金具

経ヶ岬の灯台の南上に、明治期の海軍望楼が残っている。屋根が復元され、窓ガラスも入れられている。望楼の脇には、旗指物を建てる石製の穴と、ロープを結ぶ金具が今も残っている。望楼の北東には探照灯のコンクリート基礎のようなものがあるのだが、アンカーボルトが一般的な物とは異なるので、探照灯の基礎ではないかもしれない。直径は158p。
望楼の南側の平坦地に兵舎跡がある。コンクリート製なので望楼のものではなく、戦時中の特設見張所もしくは防備衛所関連の兵舎だと思われる。兵舎跡の南上にはコンクリート製水槽がある。
山頂は展望台になっており、北端に東屋があるが、東屋の周囲には土塁がめぐっている。この土塁は電探(11号電探?)のものではないかと思われるが。
恐らく電探を装備していた特設見張所(戊)かと思われるが、防備衛所であった可能性もある。詳細については資料が少なすぎてはっきりとしない。
伊根を通って舞鶴へ。数年前に
舞鶴遠征があった際に立ち寄った、西舞鶴駅前のホテル1Fのレストランでビーフカレー。前回は霜降り肉がふんだんに入って1000円弱という値段だった。今回は端切れの部分ばかりだったが、それでも750円で食べられるビーフカレーとしては牛肉の量がハンパ無い。レストランに謎の団体が集結。ねずみ講か何か?
五老岳防空砲台


左:高角砲があった辺り、右:展望台から湾口を望む


左:何もない、右:何もない

終戦直後の航空写真(国土地理院、R522-5-63)

詳細は
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現在、五老ヶ岳公園として整備されているが、防空砲台としての遺構は何もない。端っこの山に入れば何か残っているかもしれないが、そこまでの時間は無かった。
空山


左:砲座のあった辺り、右:同左付近の水槽?跡


左:水槽?跡、右:その横の瓦礫の山


左:山頂南下の兵舎があった辺り、右:山頂東下の居住施設のあった平坦地

終戦直後の航空写真(国土地理院、M1184-A-26)

詳細は
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山頂に水槽の残骸と瓦礫が残っているだけで、他は何も無い。GoogleEarthを見ると立入禁止の敷地内に砲座を塞いだようなものが写っているが、確認のしようがない。また聴音照射所へ向かうのはさすがに難しそうだった。鹿が居た。
博奕岬


左:自衛隊施設の入り口、右:入り口付近

詳細は
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入口が立入禁止になっていたので諦める。所轄が今も舞鶴警備隊なのには驚いた。
ヘトヘトになりながら豊岡へ戻る。途中で止まった腕時計の電池を探すも見つからず。
昨日と同じ店で夕食。ただ1人だとコストが悪い。早目に切り上げて、スーパーで惣菜を買ってホテルの部屋で飲み直す。
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