和久
2012.3.20 探索
2012.4.7 探索
2012.12.16 探索
2015.2.1 探索
2015.2.15 探索

全体配置図



左:送信所A、中:受信所Bと兵舎跡?、右:受信所B



左:不明施設?E、中:陥没地下壕D、右:受信所C



左:受信所F、中:不明施設G
角島の南西にある漁村である和久に、警戒機基地がある。資料では乙の要地用が2セットと甲が1セットあったらしいのだが、遺構が明確なのは乙要地用1セット分前後だけである。またこれまで見つかった送受信所の方形窪地は、いずれも後期型のものである。
AからEくらいまでが、恐らくは要地用1セットになると思われる。Fは、南側の施設群に含まれるのかもしれないが、道の駅北浦辺りにかけての丘陵部に要地用が1セットあったとしたら、そちらに属していると思われる。道の駅北浦を始め、漁港の北東部は開発が進み、地元の人の話を集めなければ、全容はわからないだろう。
Gは1つだけ孤立しており、警戒機甲の陣地跡なのではと推測するものの、建物基礎が見当たらない。物置小屋の下に基礎があればよかったものの見当たらなかった。
特牛付近も調べてみたが、遺構は見当たらなかった。
付近を散歩していた、当時神玉小学校に通っていたおじいさんから以下の話をうかがう:
・小学校へと通う道の峠に兵舎が10くらいあった
・将校は付近の民家に宿泊していた
・(部隊は)無線をしていて、戦後銅線を拾いに行った
送信所 A
受信所 B
受信所 C
崩落地下壕 D
謎施設 E
受信所 F
謎施設 G (警戒機甲?)
資料 |
終戦時の記録 |
[1] |
警戒機乙 要地用2基
警戒機甲 3基
|
[3][5] |
警戒機乙 要地用(タチ6)2基 |
[6] |
第36航空情報隊の範囲
|
参考文献
[1] 「戦史叢書 本土防空作戦」 朝雲新聞社
[2] 「高射戦史」 下志津修親会
[3] 「陸軍対空電探現況要図」 防衛省戦史資料室(全般 053)
[5] Electronics / Evaliation of Photographic Intelligence in Japanese Homeland / The United States Strategic Bombing Survey
[6] 「Deployment Diagram of The 35th Information Corps / INGL No.1 to G-2 Periodic Report No.54 I Corps」 国会図書館 憲政資料室(USB10 R24 1132-1133)
[7] 「Survey of Japanese Antiaircraft Artillery / GHQ USAFPAC AAA Research Board / 1946.2.1」 国会図書館 憲政資料室(WOR9670-WOR9675)
送信所A



左:平坦地A2を南東から、右:同左を北東上から


左:平坦地A2から方形窪地A1の西隅を、右:同左南隅


左:土塁の上から方形窪地A1の西隅を、右:A1の内部


左:A1の東隅、右:A1の南隅


左:A1の南隅の出入口から内部を、右:A1内部南西面



左:A1の中央部、右:南隅の出入口を内部から


左:内部にある2つのコンクリート基礎、右:南東側の基礎、4ヵ所のアンカーボルト


左:北西側の基礎、右:南隅の出入口付近から中央部を


左:東側の隅部、右:北側の隅部


左:出入口から南へと向かう軍道、右:軍道からA1を望む

方形窪地A1内部には2基のコンクリート基礎が有る。また内部は1辺9mの正方形となっており、一連の方形窪地の中では最も大きい。そうしたことから、Aは送信所かと思われる。コンクリート基礎の小さい方は70cm×50cmで、アンカーボルトの間隔は50cm×40cmである
南隅に出入口が設けられており、そこから南へと軍道A3が出ている。かなり明確であり、恐らくBの兵舎群へと向かっていると思われるが、日暮れ前で急いでいたので調査していない。
南西には平坦地A2がある。建物があったようで、低い切り岸が直線的になっている。A1の周囲には窪みA4〜A6があるが、判りやすい写真が撮れていなかったので上げていない。
受信所B




左:方形窪地B1の北隅から南東方向を、右:同左南西方向を


左:北隅からB1の内部を、右:北隅にある出入口


左:北隅の出入口から内部を、右:同左


左:内部、基礎らしいものは何も無い、右:南東下から


左:北西下にある窪地B2、右:同左付近のコンクリート片


左:平坦地B3を南東から、右:同左を北西から


左:平坦地B3、右:同左


方形窪地B1は内寸が9.5m×7.5mで基礎らしいものは無く、送信所かと思われる。北隅に出入口が設けられている。方形窪地B1の北西斜面に窪地B2がある。何かが埋められていたものを掘り出した穴のようにも見え、付近には砕かれたコンクリート片が散乱している。
またBの北西一帯には、幾つかの平坦地がある。地元のお爺さんの話で、小学校の途中にある峠付近に兵舎があったとあることから、警戒機基地の兵舎跡の可能性がある。
受信所C



左:Cの南隅から北を、右:同左から北東を


左:西隅から東を、右:東隅から南西を


左:北西面から南東を、右:西隅から内部を


左:北東の出入口、右:同左

方形窪地Cの内寸は7.5m×5.5mで、3つある内では最も小さくなっている。ここも内部に基礎らしいものは無く、東隅に出入口が設けられている。
崩落地下壕D & 謎施設E




左:崩落部D1を北から、右:同左を逆から


左:D1の内部、右:反対方向


左:崩落した地下壕?D2、右:同左を上から


左:Dの東斜面だったような気がする崩落地下壕、右:同左を上から


左:Eの窪みを東上から、右:Eの西側の平坦地


探索当初は、ここも施設跡の窪地だと思っていたのだが、良く良く考えると、この窪地の下に地下室があったものが、崩落してできたのが窪地D1なのではないかと思われる。その地下室への入口だが、南東下にあるD2は薄く、これだけの大きな陥没を生むような地下室とは見合わない。メモには書かれていないが写真を見ているとCに行った後、Aに行く前に斜面に大きな崩落地下壕が写っていた。時間からDの東下付近と思われ、恐らくはこれがD1への入口だったのではないかと思われる。
Dの西下には施設跡らしいEと、その西に広い平坦地がある。竹やぶが酷く、全体的な地形を読みにくい。ただの畑跡かもしれない。
受信所F



左:道路脇から入口付近を、右:同左アップ


左:公民館脇、何東亜kら、右:南から


左:窪地F内部北東側、右:同左から出入口を


左:南面、右:西面


左:照蓮寺の駐車場、右手奥の黄色矢印に地下壕入口、左の赤矢印先にF、右:地下壕入口

照蓮寺の東上に公民館があり、その北隣に方形窪地がある。内部には小屋が建てられて内部に入ることはできないが、公民館側から辛うじて見ることができる。内寸は奥行きは判らないが、東西は約7mである。寸法などから受信所かと思われる。
照蓮寺の駐車場の奥に、崩れかけの地下壕入口がある。
謎施設G(警戒機甲?)



左:南から、かなりの断崖にある、右:戦後に建てられた小屋G1


左:窪地G2の南東側、右:窪地G2の北東側


左:窪地G3の南東側、右:窪地G3の北東側


左:窪地G4の南東側、右:窪地G4の北東側

国道脇から、小山の西斜面に沿って道が続いている。先には昔の焼き場があり、レンガ製の台が2基ある。またこの山の上に古い墓所もあり、小屋G1も墓所に関連する施設かと思われる。
この小屋G1の南側一帯に、崩落した地下壕のようなU字型の窪地がG2からG4まで3ヶ所ある。またG1の建つ場所も、元々何かがあった場所を利用して小屋を建てたようにも見えることから、警戒機甲の陣地の候補地として挙げておく。
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