備中備後遠征 ~熊より怖いインバウンド~ その2

令和7年 2月22日~24日



猿掛山に落ちていた王冠付きの瓶(中身は無くなっている)






2025年2月23日(日)





2日目の行程(国土地理院の地図を基に作成)



 各自朝食を部屋で食べてから午前7時半に出発。山陽道で鴨方ICまで移動。





鴨方陣屋


左:南面の石垣、右:当時の物ではない?


左:東側の石垣、当時の物?、右:古い井戸

 黒住教の施設と公園等になっている。南面と東面に石垣があるが、その多くは後に組み直されたような雰囲気がある。黒住教の施設内に石組の古い井戸が残っている。






鴨山城


左:南東の郭、右:断崖絶壁になっている


左:南西麓を望む、右:南東側の最高所の郭


左:中央部の堀切と切岸?、右:同左を上から


左:北西側の最高所の郭、右:北西に延びる郭間の切岸


左:北西の大郭、右:北西端の堀切




森林総研・森林土壌デジタルマップより

 城の北東下に道が広くなった場所があり、この付近から2本の遊歩道が出ている。
 城域の南東側は岩質で、特に南斜面は断崖絶壁になっており、高所恐怖症には怖い場所があった。北西側は土質で郭も広くなるものの、目立った防御施設も見当たらなくなる。






猿掛城


左:北東端の郭、右:同左の石垣跡


左:主郭に続く北端の郭、右:同左から南の切岸


左:郭を横切る列石、右:麓を望む


左:主郭の北側、右:主郭の南側、土塁


左:主郭の縁の石垣、右:主郭南下の大堀切(右が主郭側)


左:北西麓近くにある幕末の砲台跡、右:南西麓の案内板から猿掛城を望む




森林総研・森林土壌デジタルマップより

 北東麓から登ったが、登りも下りも北西麓からのルートの方が楽である。険しい山の上に、よくあれだけの広い平坦地を作ったものだと感心させられた。複数の郭を横切るように列石が置かれているが、恐らくは後世に境界線として置かれた物ではないかと思われる。主郭の南下にある大堀切へ降りるのが大変だった。




 猿掛城の北西の、吉備真備公園内にある館址亭といううどん屋で昼食。それなりに美味しかった。






神戸山城


左:主郭、右:主郭から帯郭を


左:帯郭、右:帯郭、鉄塔が立つところにも郭


左:西に延びる尾根上の郭、右:南東麓の登り口


右:森林総研・森林土壌デジタルマップより

 東麓の小田公民館の駐車場を使わせてもらう。
 山頂に郭と帯郭、東の尾根上に幾つかの郭があるだけのシンプルな縄張。北東麓から登り南東麓へと降りたが、南東側の方が道が良かった。ただ南東側の登り口は分かりにくい。





金黒山城


左:主郭南東下の郭、右:主郭


左:主郭の土塁、右:土塁


左:主郭北西下の堀切、右:同左


左:主郭北西下の堀切群、右:その内の一つ


右:森林総研・森林土壌デジタルマップより

 城に寄せる道が判り辛く、カーナビに頼ったら走れない道を案内されて迷ってしまった。予め下調べをして行った方が良い。

 雪が酷かった。主郭北西下の堀切群は見事。






小笹丸城


左:主郭の南西下、熊笹の海、右:東下の堀切


左:主郭東下の横堀の南側、右:同左北側


左:主郭東側、右:主郭西側


左:主郭北にある虎口の西側、右:虎口の東側


右:森林総研・森林土壌デジタルマップより

 南西から登り口が出ているのだが、登った先が熊笹で覆われており、遠藤周作の碑の所までしかたどり着けなかった。そこで一度下りてから東の谷筋の道から入り、主郭下の横堀まで直登、主郭北側からどうにか主郭まで辿り着いた。ただ結果論から言うなら、遠藤周作の碑から熊笹をかき分けて帯郭を東へと回り込めば、何とかなっていた。

 主郭周囲には薄っすらと土塁が残り、北西側に虎口が開いている。虎口周辺には大きめの石が散乱しているが、石垣跡なのかどうかは不明。








 18時前にホテル着。街中だけど温泉が併設されているところだったので、広い風呂でゆっくりと疲れを癒す。

 疲れていたので、夕食は温泉施設に入っている割高なファミレスでも良いや、ということになったのだが、こんな所ですら30分待ち。仕方が無いので近くにある中国人がやっている中華料理屋へ。中国の東北地方(満州付近)だけあって辛いメニューが多かったけど美味しかった。ただ日本語が通じていない部分があったのか、通っていないメニューが2つくらいあった。





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