周防遠征 その1
令和6年 11月9日~10日

新宮防空砲台の兵舎区域にある何かの基礎
実は一度、Kさんからは10月の三連休で秋遠征を行う旨を打診されていた。
しかし今年の夏はエンドレス猛暑。9月も後半になっても日中の最高気温が30度近かった。長期予報では10月の前半まで夏日が続くとあり、そんな高温の中、山に入る気にはなれなかった。
他にもその三連休に近所でイベントがあり、そっちを優先したいという理由もあったのだが、それは敢えて伏せて、もう少し涼しくなってからにしませんかと多少強引に説いた。11月の三連休はどうかと提案したものの、今度はKさん側の都合が悪かった。それにYさんが今年度は土曜日に動けない状態であり、秋遠征そのものが流れることになった。
そして10月に入りKさんから「丁度Sさんが山口県光市に単身赴任しているから、1泊2日であの辺を回らないか?」という話が来た。
光市と言えば今一部で話題の新宮砲台がある。中世と幕末にしか興味が無いKさんに近代城郭をぶつけるには最適であることから、直ぐに了承した。
ところが…。この遠征の1週間前に内視鏡による大腸ポリープの摘出手術を受けた。術後3日くらい安静にしていれば大丈夫だと思ったのだが、手術直前の説明で10日くらいは激しい運動はしないようにと注意された。登山は激しい運動に入るのか質問したところ、「入るかも」と言われてしまう。Kさんに事情を話をしたところ、「それならば比高が高目の城は外そう」ということになり、幾つかの目標の入れ替えをすることになり、目標のレベルが落ちることになってしまった。
安易な手術でご迷惑をおかけいたしました>>Kさん。

1日目の行程(国土地理院の地図を基に作成)
2024年11月9日
JR山陽本線光駅に9時半集合、ということだったので、午前9時の開店直後の豆子郎末武大通店へと向かい、生外郎を購入する。いつのまにか1本200円近くに値上がりしていた。
そして光駅へと向かう。10分前くらいに到着し、コンビニでコーヒーを飲みながら時間を潰す。SさんとKさんと無事合流して、冠山総合公園へと向かう。
新宮防空砲台


左:指揮所にある測距儀の基礎、右:指揮所の塹壕


左:奥が高射装置の基礎、右:何かの建物があった方形窪地


左:北側の高角砲の砲座、右:南側の砲座


左:弾薬庫のあった方形窪地、右:待機所?の近くの割れたコンクリート床


左:兵舎区域のトイレ、右:洗面台

公園の野外ステージの裏から砲台へと登る道が出ている。途中防獣柵を越える必要がある。
以前から比較的遺構が残っている割にアクセスしやすい砲台であったが、公園のスタッフによる最近の発掘調査で、測距儀(目標までの距離を測る光学機器)や高射装置(高角砲の発射諸元を計算する機械式計算機)の基礎等が発見され、更に魅力が増している。残念ながら遺構保全の為、発掘された指揮所や弾薬庫の中に入ることができないが、離れた場所から見るだけでも価値がある、と砲台マニアは思うのであった。
末武城


左:主郭北西下の堀切?、右:主郭に建てられた碑


左:主郭の東側、右:主郭東下の堀切

国道2号線と国道188号線が合流する交差点から直線で東に800mにある下松護国神社の東裏の山頂に末武城がある。
護国神社側から登る場合、神社の西麓に1台分の駐車スペースがあるだけで、ここが塞がっていると停められなくなる。北東にある老人ホーム方向から林道が出ているようなのだが、こちら側から登れるかどうかは確認できなかった。
遺構は、山頂に狭い平坦地と、その周辺に堀切が幾つかあるだけである。
都農宰判勘場


左:宰判勘場跡を南東から、右:南から


左:大筒のレプリカ、右:看板と碑

周辺に駐車スペースが無いので、花岡公民館の駐車場を利用させていただいた。
宰判勘場とは、長州藩における代官所のようなものである。南面に石垣があるが、当時の物かはわからない。他は跡形もない。
杉ヶ峠防空砲台


左:砲座への入口、右:砲座


左:砲座、右:地下待避所への入口だったのだろうか…

国道315号線の杉ヶ峠トンネルの南西に杉ヶ峠防空砲台跡がある。
砲座の残っている山頂まで「一応」車道があるものの、狭い上にかなり荒れているので、途中の分岐近くの空地に車を停めて歩いた方が良い。しかしこの分岐までも狭い道が続くので、いっそのこと峠辺りから歩いた方が安全である。
3基あった砲座の内、1基が残っている。他にも周辺に発電所跡や兵舎跡などがあるが、山の中で分かり難いのでお勧めできない。
北上し、須々万に入って昼食。須々万の中央にある、みなと亭で昼食…の予定だったが、満車で入れず。以前から気になっていたミスターパンヤというパン屋に行ってみるも閉まっている。仕方なくスーパー飯。
須々万沼城


左:山頂へと続く道、右:山頂南側の平坦地


左:山頂南側に建つ民家、右:山頂北側の平坦地、奥が老人ホーム

保福寺の駐車場を利用させていただいた。寺の東から老人ホームへと登る車道の脇に、脇道があり山頂近くまで行くことができるが、山頂には民家が建っており、入ることができない。いや、物理的な柵は無く入ろうと思えば入れたのかもしれないが、明らかに私有地なので、そのまま引き返した。
古い航空写真を見ると、50年ほど前には、この山頂平坦地にプールらしきものが写っている。山の西麓にある高校(現在は廃校)のもののようである。
西山城


左:主郭付近、右:同左


左:主郭付近、右:主郭南下の二重堀


左:北斜面を走る堀、西側、右:同左東側

ここも駐車スペースが無い。城の東麓の太陽光発電所の前のスペースに停めさせてもらったが、休日なら城の北東にある周南市市役所中須支所の駐車場に停めさせてもらって、そこから歩いた方が良いかもしれない。
城の遺構は不明瞭な物が殆どである。主郭そのものが明確な平坦地ではなく、北斜面の長い堀も別の用途の溝かもしれない。唯一城らしいのは、主郭南下にある二重堀だけである。
米光城


左:主郭を東下の郭から、右:主郭から東下の郭を


左:主郭、右:主郭の西下の郭


左:西下の郭の土塁、右:西端の堀切


左:東端の堀?、右:登山道のある南斜面

急な南斜面に九十九折の道が薄っすらとあるだけなので、山登りに慣れていないと道を見失ってしまう。
西端の堀切が最も城らしい遺構だったのだが、登り疲れて堀切の底まで降りる元気が無かった。東端の郭に横堀のような窪地があるものの、何なのかはわからない。
徳地宰判勘場


左:南面の石垣、西側、右:同左東側


左:登り口、右:駐車場から敷地を望む

駐車場があるものの、あまり整備されているとは言えない。南面の石垣が綺麗に残っている。
ホテルのある山口市へと移動。チェックインして一度風呂に入り、それから予約をしていた近くの居酒屋へ。
ところが、我々の予約よりも近所の馴染み客の方を優先してしまった為、この居酒屋には入れず。実際、繁華街でもない辺鄙な場所にある居酒屋だと、二度と来ないかもしれないホテルの客よりも常連さんを優先しても仕方ないよねと諦め、といって他に店は無く、近くのスーパーで総菜と酒を買い込み、ホテルの部屋で久しぶりのスーパー飯になる。
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